(くまくらじょうあとひのじょうあと)
熊倉城跡(日野城跡)
秩父市荒川白久
城山(標高648m)山頂地点
県選定重要遺跡
関東管領山内上杉の家老長尾昌賢の死後、山内顕定は昌賢の弟忠影を家老とした。
しかし昌賢の子影春はこれに不満を持ち、文明六年(一四七四)主君山内家に反旗を翻した。
これを知った扇谷上杉の家臣太田道潅は文明十年(一四七八)には影春を鉢形城から追い出し、文明一二年六月には影春の籠る熊倉城を攻め、ついに影春を降伏させた。
熊倉城には井戸がなく、谷津川上流より引水していたが、城攻めの折発見され落城したと言われる。また日野、白久にはこの熊倉城に関する伝説も多く残っている。
熊倉城跡は平地面積一一.四四六平方メートル、二条の大きな空堀や、多くの土塁の跡がうかがわれる山城である。城跡の外周は急斜面がほとんどで、まさに要害の地であったと思われる。
日野・白久自然研究路
【ブログ記事】
'09 2/2